Fakt 1034:
Life is like a cigarette.
Smoke it to the butt.

 タバコを吸うヒトの行動は奇妙である。火をつけて2・3回煙を吐き出した後、灰皿に押し付けて消してしまう。と思うや、また次の一本に火をつけたりする。意味解んないよ、それ。吸いたいの、吸いたくないの。

 『ハーヴィー・クランペット』はわずか20分あまりのクレイアニメーション。クレイアニメと言えば『ウォレスとグルミット』のような素晴らしい娯楽作品もあるのだが、『ハーヴィー』はブラックなユーモアがちりばめられていて、ところどころで笑えなくはないものの、扱っているテーマ自体は非常に重い。なんたることか、これは人生について20分間で悟りを開く――そんな映画なのだ。

 逆さまでこの世に生まれる。母親は鉛中毒で半ば正気を失っている。ハーヴィー自身もトゥレット症候群の知的障害者である。学校では当然イジメにあうし、家が火事になって両親が死ぬし、その上アタマの毛が無くなってハゲに……。『ハーヴィー・クランペット』のプロットはややもすると“不幸の連続”とも思われがちだ。しかしこれは「こんな不幸な星のもとに生まれた男でも頑張って生きているのだよ」というような説教臭いハナシではない。それでは何も面白くない。

 そうそう、一方でハーヴィーはヴァレリーという相性バッチリの伴侶と巡り会ったし、二人の育てた子供は頭脳明晰で、弁護士になった程なのである。そういう意味ではかなり真っ当な人生を歩んだのだ、彼は。

 (自分は、生き物の基本的存在価値なんてのは生殖にッきゃないと思っている。子育てどころか結婚すらしない自分は、果たしてなんの目的でこの世に居るのだろうといまだにつまづく。raison d'etre とか難しいハナシではなくて、単純に「この先、特にやることが無いじゃん」と思ってしまうのだ。)

 ハーヴィーの人生を不幸な人生だとは言い切れない。というか、人生を「不幸な人生だ」とか「幸福な人生だ」とかと判断を下すのがヘンなのだ。生きている限り、そのどちらもが延々と繰り返す。実のところ「ヒトはおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない」ものだったり。

 ハーヴィーは、アタマを剃られ白い服を着せられ番号で呼ばれるような人生を送ってはいないのだ。しかし歳をとってきて、人生が徐々にフラットな状態へと収束し始めた時、生きることに飽きてしまうかどうか――その辺が焦点になってくる。

 養老院へ収容された後、ハーヴィーは気持ちが沈みがちになり、生きる気力がなくなったとし、ある晩、命を絶とうとモルヒネをこっそり持ち出す。しかし結果的には、自分が死のうと思って持ち出したモルヒネで、甲状腺癌で苦しむ女性が代わりに自殺してしまう。この経験からハーヴィーは先述の「事実」を発見することになる。

 眼前のヒトの死が自分に命の尊さを気付かせた――というのとはどうも違うようだ。うまく言えないが、「別に死ななくてもいいんじゃないの?」というような悟り。確かに生きることはもう退屈であり、この先なにかいい事が起こるとも思えない。ただ寂寞と毎日が過ぎていく。だけれども、死ぬこたァないんでないの?

 理由も目的も要らない。未来も要らない。ただ、今を生きているという。

「Thank you...」

――劇中出てくるハーヴィー唯一の台詞は、なんとも言えずあたたかい。

 結局、ハーヴィーを取り囲む状況は何ひとつ変わらない。遠い外国暮らしの娘から時々届く手紙を楽しみにするだけの、フラットな養老院生活が死ぬ迄続くのである。

 しかしハーヴィーの心は変わった。来ないと解っているバスを笑顔で待ち続ける――待つのが楽しいのだ。来やしないものを待って何になるのか? 確かにその通りだが、意味があるとか無いとか、そういう分別を超越し、彼は待つことを楽しむという境地に達したようにも思える。人生は目的のための手段ではない。“今、待っている”という行為、そのものだ。

「人生とタバコは最後まで吸い切るもの」

 ――という訳で、喫煙者の皆さんはタバコ最後まで吸い切るように。

Harvie Krumpet

『Harvie Krumpet』
監督:アダム・エリオット
2003年 オーストラリア

「HARVIE」 2700px × 1400px 2006/10/15
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ハーヴィー・クランペット Harvie Krumpet