2005年になって、DVDで『エイリアン3/完全版』が発売された。やたらと評判の悪い(評価されたとしてもデヴィッド・フィンチャーの映像センスがどうのこうのというのばかり。)『エイリアン3』だが、『完全版』を観るとだいぶ評価も変わってくると思う。これはよくある“お蔵出し”的完全版ではない。
と言うよりは、むしろ劇場公開版の方がカットし過ぎだったのだ。自分は『エイリアン3』はもともと好きな映画ではあったが、『完全版』を観てしまうと「なんでこのシーンをカットしちゃったんだよ!」と怒りがこみ上げてくる程なのである。
(実のところ『エイリアン3』は最終編集権がフィンチャー監督に無かったため、製作会社が好き勝手にいじくったという経緯がある。尺を短くして上映効率を上げ、収益を増やそうというのがその目的だった。)
劇場版では囚人ゴリックにまつわるエピソードはバッサリ切り捨てられている。1度は閉じ込めたエイリアンを、ゴリックが逃がしてしまうというくだりがホントはあったのだ。人間の中に裏切り者がいるというのはお決まりのパターンだが、ゴリックの場合は「生物兵器として軍事利用」なんていう算段がないところが興味深い。彼は純粋にエイリアンの凶暴性に“魅せられて”しまうのである。それが善か悪かは関係なく、ただ強い者に憧れてしまうという人間の愚かさを描いた重要なシーンだ。
ジェームズ・キャメロンは『2』で「母は強し!」と言い切った。それとは対照的に、『3』の男どもはなんとも無様なものである。武器も無い、強靭な肉体も無い。致命的なことにアタマさえ良くない。そういう囚人たちが特攻隊のようにエイリアンに戦いを挑む姿は、あまりの悲壮感に涙が出てくる。
『エイリアン3』は人間の愚かさ、弱さ、小ささを描いた作品である。思い上がりも甚だしい人間に警鐘を鳴らす、崇高な映画と言えるだろう。神にすがるしかない哀れな男たちを、それでも必死に統率しようとするリプリー。しかし、そこに囚人の精神的リーダーであるディロンが言う。
「みんなは不死身じゃないんだ!」
――そうそう、ヒトはそんなに強くなんかないのよ……。
(リプリーは不死身のような気もするが(笑)。ッていうか『3』で美しく終わりにして欲しかったよね……。)