このページの挿絵がそういう誤解を招くかも知らんが、この映画はいわゆる“抗日映画”ではない。正義を掲げた“反戦映画”というのともちょっと違う。誰の心にも潜んでいる“鬼”を描いた作品である。
(余談であるが、チアン・ウェン監督は『紅いコーリャン』で主役の男を演じており、その映画での日本軍の描かれ方に違和感をもち、この『鬼が来た!』を撮ったという。『紅いコーリャン』では彼はアタマを剃っていて、他にも筋骨たくましいハゲが10人ぐらい登場するので、単にハゲが好きなヒトはそっちを観た方がいいかも知れない。以上、ホントに余談。)
完全に善良なヒトなどいない。誰の中にも“鬼”はいるのだ。しかし逆を言えば、良心のまったくないヒトもまた、いないのである。
捕虜になるくらいなら死を選ぶという、日本兵としてそつなく仕上がった花屋小三郎が、村人にかくまわれた半年間で人間性を取り戻していく――というハナシがひとつ。そして、再び軍隊に戻ってきてしまった花屋が、あるキッカケで“鬼”に豹変する、というどんでん返しがひとつ。とどのつまり花屋はいいヤツなのか悪いヤツなのか。ヒトってのは割と簡単にそのどちらにも成りうる。
花屋が“鬼”になる場面は非常に面白い。それは目の前で酒塚猪吉隊長が中国人に小馬鹿にされた瞬間である。口惜しさに大粒の涙をこぼしたあと、彼の心は“鬼”に変わる。花屋“個人”ではなく、“集団”――軍隊としてのプライドを傷つけられた時に、花屋はぶちキレるのだ。
「狂気は、個人においては例外的状況であるが、集団においては常態である」。
ヒトは集団に属すると、おのれの良心を捨てやすくなるという。これはなにも戦争とか軍隊とかの特殊な状況下でのみ起こることではない。現代の会社組織がたびたび起こす無責任は、属している個人が良心を失い、たとえ組織全体がいけない方向へ向かっていても、「自分は自分の役割を果たしている」と開き直っているからである。(自分がここ数年、すっかり人間嫌い――集団としての人間が嫌いなのである――になってしまったのも、この辺が原因のような気がするよナ……。)
まァ兎に角、自分がここでグチャグチャ理屈をこねるよりも、実際にこの映画の力強さに打ちのめされてもらいたい。この映画はかなりオススメである。絶ツ対観るべし。